【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 天王山登リ口]
京都府乙訓郡大山崎町
参考
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地名・史跡名 天王山
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大黒天 宝寺
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天王山案内碑
JR山崎駅からですと、駅を出て線路沿いに京都方面に進み、踏切を渡ってすぐ、3分程でしょうか。
阪急京都線大山崎駅からですと、駅を出て少し左に進み、すぐに右に折れ、細い道を進んだ突き当りがJR東海道本線、右手に踏切が見えます。4分程の距離です。
JR東海道本線の踏切を渡ってすぐに、天王山の案内碑があります。
天王山の古図が、とても良い雰囲気です。
天王山登り口
天王山の案内碑から上り坂が始まります。
その天王山の登り口に、「天王山登り口」と彫られた石柱が立っています。
いよいよ天王山への山登りが始まります。
宝積寺仁王門
天王山登り口から上り坂を5分程進むと、右手に宝積寺(宝寺とも呼ばれます)があります。
階段を上って、最初に迎えてくれるのが、この仁王門です。
とても立派ですね。
山崎の戦いの際に、秀吉がここに一時本陣を構えたそうです。
宝積寺本殿
仁王門をくぐると、正面に本殿があります。
特に目立つものがあるということではありませんが、質素で、落ち着いていて、それでいて、眺めていると、何かほっとします。本当に素晴らしい姿をしています。
本堂の後ろに見える山が天王山です。
宝積寺解説板
宝積寺の解説板です。
宝積寺
宗派 真言宗智山派
開基 行基
文化財 (重文)神像・倶生神坐像・闇黒童子坐像・閻魔王坐像・木造司録坐像・木造司命坐像・十一面観音立像・金剛力士立像・三重塔
一般には宝寺の名で知られており、本町に現存する寺院の中で最も古い歴史を誇る。
寺伝によると奈良時代に聖武天皇の勅願寺として行基が開創したと伝え、その後、長徳年間(九九五〜九九九)寂照が中興し、室町初期には八幡宮油座からの寄進も多くあり寺運は大いに盛りあがった。さらに嘉慶三年には定額寺にも列し、多くの子院をもつに至る。
戦国時代の終り、山崎合戦の折には羽柴秀吉が一時当寺を陣所とし、合戦後宝寺も山崎城の一部として利用されたと伝えられる。
しかし、幕末の動乱は宝寺にもおしよせ、元治元年(一八六四)の兵火と廃仏毀釈で寺運はすっかり衰微したがじょじょに寺観、寺域も復興され今日にいたった。現在、乙訓地方で最も多くの文化財を保有する寺院で、見るべき仏像が多くある。
昭和六十一年三月
大山崎町教育委員会
とあります。