【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 盛安寺]
滋賀県大津市坂本1-17-1
盛安寺本堂
京阪電鉄石坂線穴太(あのう)駅から歩いて5分程のところにあります。
盛安寺本堂解説板
本堂左手に解説板があります。それには、
大津市指定文化財
建造物
盛安寺本堂(せいあんじほんどう) 一棟
(大津市坂本一丁目)
盛安寺本堂は、桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)六間、寄棟造(よせむねづくり)、棧瓦葺(さんかわらぶき)の建物です。
平面構成は天台宗系の三間堂を基本にしており、四天柱によって内陣、外陣、後陣、両脇陣にわけられています。後陣中央には来迎柱をたてて須弥壇(しゅみだん)を置き、両脇壁面には脇壇が造つけられています。堂内の床は全て畳敷で、天井は棹縁天井(さおぶちてんじょう)となっています。装飾は内陣周りにだけで、それ以外は素木(しらき)で簡素な造りとなっています。
棟札(むなふだ)から慶安(けいあん)五年(一六五二)に建立された後、何度か修理されてきたことがわかっています。構造や細部意匠が簡素で小規模な建物ですが、天台真盛宗寺院の古い遺構として貴重なものです。
平成五年(一九九三)一二月に大津市の指定文化財となりました。
大津市教育委員会
平成六年(一九九四)三月三一日
Cultural Asset Designated by Otsy City
(Building)
Seianji Temple, Hondo
とあります。
文中で使われている以下の用語は、【
辞典・用語
】の[
日本史用語
]に収録してあります。
「
桁行
」
「梁間=
梁行
」
「
寄棟造
」
「
棟札
」
上記以外の文中の用語を簡単に解説します。
「棧瓦葺」は、方形で中央が谷をなし波状をなす瓦(広辞苑)で葺いた屋根
「四天柱」は、建物の心柱(しんのはしら、中心になる柱)の周囲に立つ四本の柱
「来迎柱」は、須弥壇の後にある壁(来迎壁といいます)の左右に立つ円柱
「須弥壇」は、本尊や仏像を安置する壇、通常は本堂の中央にあり正面を向きます
「棹縁天井」は、天井に細い木材(棹縁、竿縁、といいます)を渡し、その上に天井板を張ったもの
盛安寺客殿解説板
本堂解説板の左手に客殿の解説板があります。それには、
重要文化財
建造物
盛安寺客殿(せいあんじきゃくでん) 一棟
(大津市坂本一丁目)
盛安寺客殿は、南面入母屋造(なんめんいりもやづくり)、北面切妻造(ほくめんきりづまづくり)で、棧瓦葺(さんかわらぶき)の建物です。
平面は南を上手にして、前後二列に三室を並べた方丈(ほうじょう)形式をとります。部屋数は、後列中央を前後二室にわけて計七室、正面と南側面に広縁を設け、南側面広縁の縁先にはさらに濡縁(ぬれえん)がつきます。滋賀県指定の名勝庭園に面した「奥の間」(上段)と「二の間」には、長谷川派の作と推定される障壁画(しょうへきが、大津市指定文化財)が描かれています。
建築年代を確定する史料を欠いていますが近辺の西教寺(さいきょうじ)客殿や聖衆来迎寺(しょうじゅうらいこうじ)客殿(いずれも重要文化財)との比較、障壁画の製作年代等から、一七世紀前半の数少ない住宅建築と考えられます。
平成五年(一九九三)八月に国の重要文化財になりました。
大津市教育委員会
平成六年(一九九四)三月三一日
Important Cultural Asset
(Building)
Seianji Temple, Kyakuden
とあります。
文中で使われている以下の用語は、【
辞典・用語
】の[
日本史用語
]に収録してあります。
「
入母屋造
」
「
切妻造
」
上記以外の文中の用語を簡単に解説します。
「棧瓦葺」は、方形で中央が谷をなし波状をなす瓦(広辞苑)で葺いた屋根
盛安寺立札
解説板の更に左手にこの立札があります。それには、
穴太衆の古里に明智公ゆかりの
法王院盛安寺を訪れて
当寺は穴太の里高穴穂宮趾のあるところで 天智帝の勅願によって創建されました崇福寺の遺物であります一木彫り十一面観音像(天台宗比叡山延暦寺の開山伝教大師の師範行表作)が安置されています。
西近江路の街道筋から穴太衆積みの美しい石垣に囲まれた山門を通れば越前国主朝倉貞景の家臣杉若盛安が霊夢を感得して文明十八年に再建しました盛安寺に入ります。
就中(なかんずく) 天正年間に明智光秀公坂本居城の由緒ある陣太鼓を眺めながら桃山客殿に到ります 殿内の障壁襖絵(長谷川宗圓の屏風とともに)には桃山期の狩野派の爽麗な絵巻を見ることができます。
前庭は不断念仏を唱導する道場に相応しい聖衆来迎曼荼羅庭園で聖なる人との和合を表現した江戸初期の名庭であります。
穴太の歴史は古い・・・・・・・み仏を拝しつゝ心に静寂さを味合うのは独り私だけではありません。
合掌
住職 大窪功純
とあります。
盛安寺太鼓樓名札
盛安寺太鼓樓に掲げられている名札です。
明智公顕彰
佛の城 太鼓樓
法王院盛安寺
とあります。
盛安寺太鼓樓
光秀ゆかりの陣太鼓が納められているという太鼓樓です。
盛安寺穴太積
盛安寺の周りは、このような穴太積の石垣になっています。
この比叡山東麓の穴太周辺には、かつて、石工が多く住んでいて、穴太衆と呼ばれていました。
この穴太衆によって積まれた石積み、或いはその技法を「穴太積」或いは「穴太衆積」といいます。
野面積の一種で、自然の石(野面石)を集めて積み上げる方法ですが、大変強固なのだそうです。
それに自然な形の美しさが、本当に見事ですね。
坂本の付近では、到るところで見ることができます。