【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 明智左馬之助湖水渡碑]
滋賀県大津市打出浜
明智左馬之助湖水渡碑
琵琶湖畔に建つ「明智左馬之助湖水渡」の碑です。
後は湖上に建つ琵琶湖文化館です。
『川角太閤記』によれば、本能寺の変後、安土城に入って近江一円の掌握に当たっていた明智左馬之助(秀満)が、山崎の戦いでの敗報に接し、近江坂本城に退却する際に、堀秀政の軍と遭遇し、この付近から馬を湖水に乗り入れ渡り切ったとされます。
碑左側面に、その日「天正十年六月十四日」が刻んであります。
京阪電車石坂線の島ノ関駅から徒歩5分程、JR琵琶湖線大津駅からですと徒歩20分程(バス便もあります)です。
明智左馬之助湖水渡碑案内板
碑の左側に案内板が立っています。それによると、
明智左馬之助
湖水渡りのところ
天正十年(一五八二)六月二日、明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが、山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
光秀の弟左馬之助光春は、信長の居城安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがりびわ湖を渡り坂本に帰った。
しかし時すでに遅く秀吉の軍勢に囲まれ、六月十四日、光秀の妻女らとともに、城と命運をともにした。
湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語りつがれている。
とあります。
「今も講談などで語りつがれている」とある通り、実際にあったことかどうかは、確認できません。