【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 坂本城址碑]
滋賀県大津市下阪本3丁目
参考
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地名・史跡名 坂本城
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坂本城縄張図
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坂本城址碑
東南寺から西へ50m程のところにある石碑です。
写真奥の突き当たりに見える建物が東南寺です。
場所は、当時の二の丸辺りになるでしょうか。
坂本城址碑由緒書
「坂本城址碑」の隣に立つ由緒書です。碑には、
坂本城跡
大津市下坂本
織田信長配下の明智光秀は、山門焼き討ち直後の元亀二年(一五七一)、下坂本の湖岸に大天主と小天主をもつ水城を築きました。当時来日していた宣教師ルイス・フロイスはこの坂本城を後に築城される天下の名城安土城についで豪壮華麗な城と述べています。
坂本城築城の目的には、山門の監視ばかりでなく、近江の反信長勢力、特に浅井・朝倉軍に対する前線基地や、彦根の佐和山城とともに、信長の領国美濃と京都との往還の確保などがあげられます。
この城は天正十年(一五八二)六月の山崎の合戦ののち焼失しますが、丹羽長秀によって再建され、同十四年頃、城が大津(大津城)に移るまでこの地にありました。
昭和五十四年(一九七九)に実施された発掘調査では、焼土中から城の施設の一部と見られる建物の礎石や石組の井戸・池・溝・石垣の基礎石などが検出されています。
大津市教育委員会
昭和五十九年十一月
とあります。
坂本城址碑由緒書
「坂本城址碑」の裏に立つ由緒書です。碑には、
坂本城
坂本城は、元亀二年(一五七一)九月の山門(延暦寺)焼き打ち後、織田信長に滋賀郡支配を命じられた明智光秀が、比叡山麓の当地に築城したものである。
(「大津の城」より)
大津市
とあります。