【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 南蛮寺]
京都府京都市中京区姥柳町
参考
[
地名・史跡名 南蛮寺
]
南蛮寺跡石碑
本能寺から蛸薬師通を東に進み、新町通と室町通の中程北側にこの石碑があります。
本能寺跡の石碑あるところから250m、歩いて3分程しかありません。
この南蛮寺は、天正五年、オルガンチノが信長の援助を受けて完成しました。
三階建で和風に洋風を加味した、いわゆる南蛮風で、技巧をこらしたものであったそうです。
三階建てということですから、当時としては高層の建物で、本能寺も西の方向に望めたのではないかと思います。
わが聖堂(南蛮寺)は信長の所より僅に一街を距てたのみであった故、キリシタン等が直に来て、早朝のミサを行ふため着物を着替へていた予(パードレ・カリヤンならん)に対し、宮殿(本能寺)の前で騒が起り、重大事件と見ゆる故暫く待つことを勧めた。その後銃声が聞え、火が上った。つぎに喧嘩ではなく、明智が信長に叛いてこれを囲んだといふ知らせが来た。【
イエズス会日本年報
】
南蛮寺跡由緒書
南蛮寺跡石碑の側に立っている由緒書です。
起工が天正四年、竣工が天正五年ということでしょうか。