【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 妙覚寺]
京都府京都市中京区上妙覚寺町・下妙覚寺町
妙覚寺
二条御所の西側にあった妙覚寺です。
当時、北は二条大路(二条通)、南は三条坊門小路(御池通)、東は室町小路(室町通)、西は町尻小路(新町通)、という広大な寺でした。
本能寺の変当時、信忠は妙覚寺に投宿していましたが、変の知らせを受けて、信忠は、隣の二条御所に移ります。
ちなみに、永禄11年以降、信長の、確認できる36回の上洛の内、この妙覚寺には14回投宿しています。
かなり頻繁に利用されていたことが分かります。([
信長の上洛
]を参照)
三位中将信忠、此の由きかせられ、信長と御一手に御なり候はんとおぼしめされ、妙覚寺を出でさせられ候ところ、村井春長軒(貞勝)父子三人走り向かひ、三位中将信忠へ申し上け候趣、本能寺は早落去(らっきょ)仕り、御殿も焼け落ち候。定めて是れへ取り懸け申すべく候間、二条新御所(二条城)は御構へよく候。御楯籠り然るべしと申す。これに依りて直ちに二条へ御取り入り、
信忠は、信長の宿所が襲われている事を聞き、本能寺に駆け付けようとして妙覚寺を出たが、村井父子が駆け寄り、本能寺は既に落去しており、間もなく明智勢が此処へ押し寄せるでしょう、(妙覚寺よりは)二条新御所(二条御所)の方が構が良く立て籠もりやすいのではないでしょうか、と申し上げた、信忠は村井父子の進言を受け入れ二条新御所に入った、