【資料 本能寺の変】 [本能寺の変 ゆかりの地 明智光秀の塚]
京都府京都市東山区梅宮町
明智光秀の塚首塚
三条通から白川に沿って左岸(下流に向かって左側)を南に進むと、「明智光秀の塚」という案内板があります。
その路地を左手に折れると、すぐ先に明智光秀の塚があります。
この石碑は、一般には、首塚と呼ばれているようです。
明智光秀の塚祠
光秀を祀る祠です。
中には光秀の木像などが安置されているそうです。
明智光秀の塚案内板
祠の左手に案内板があります。それには、
天正10年(一五八二年)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹薮で農民に襲われて自刃、最後を遂げたと言われる。
家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この地に首を埋めたと伝えられている。
京都市
とあります。
なお、胴を埋葬したと伝えられる塚については、[
本能寺の変 ゆかりの地 明智光秀之塚
]をご覧ください。