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【資料 本能寺の変】 [本能寺想像図] |

とあるところから、東西には川、南北には堀が巡らしてあったと考えられます。
また、南北の堀は、敷地内の湧水を利用するか、東西の川から水を引き入れるかのいずれかと思われますが、ここでは後者としましした。
更に、上杉本洛中洛外屏風(【永徳と障屏画 桃山の絵画・工芸2】【〈国宝〉上杉家本洛中洛外図大観】)、【洛中洛外 環境文化の中世史】の都市図により、
を参考に
を描いてみました。
なお、中村昌生著【信長の頃の本能寺】に「西方の土塀で画された一郭には、」とありますが、【上杉本 洛中洛外屏風】を見ると、西洞院大路や四条坊門小路(蛸薬師通)の土塀とは、違うような気がします。そのため、ここでは「土塀」ではなく「渡り廊下」としました。
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